「つみきのいえ」という短編アニメ作品をみた。
なかなか物悲しい話だった。
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ヨコハマ買い出し紀行、超面白いです。先日買った分全部読んじゃった。
昔読んだ記憶以上に素晴らしい!
というのは、ここまで通しで読んだ事が無かったもので
通して読むと
「こんなテーマがあったのか!」とか
「こんなテイストの話もあるんだ…」みたいなのが存外多くて、
興奮しっぱなしです。
まだ買ってない残りの分も早く読みたいし、
OVAなどもあるらしく、そちらもちょっと気になるところ。
というわけで、ちょっと感想など。
以下、続きます。
“ちょっとヨコハマ買い出し紀行の話” の続きを読むちょっと前に知って買って読んだらスマッシュヒットだった漫画について早口で喋りとうございます。
KADOKAWA / 月刊コミックフラッパー連載
MFコミックス「僕の妻は感情がない」
作者:杉浦次郎
以下続く。
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“漫画読んだ:「僕の妻は感情がない」1巻” の続きを読む最終巻。感慨深い。
「この世界の片隅に」の映画を見た。ツイッターで感想を述べようと思ったが、長くなっちゃったのでブログに。
興味はあったものの読んだ事なかったのだが、電子書籍で一巻が無料だったので手を出してしまった。そのまま最後まで一気に読んでしまった。
僕の読解力の低さでは取り零しも多々あり、解説サイトなど巡って補足を得て、ようやくなんとか「一旦読めた」と言えるか怪しい程度には読めた。
壮絶というかなんというか…逆にどストレートに主張を込めて描かれた、とも言えるかもしれない。非常に複雑だったり難解だったりな構造をしてるけど、「読み手に委ねる」思惑は多分ほとんどないと思われる。
数式の様に、適切に読み解けば必ず同じ解に辿り着く様に、少なくとも作者の鬼頭莫宏先生は「描いたつもり」なのだろうと思う。でも多分大多数の人は、大変な苦労をかけてなんとか読み解き、しかも解説してくれている先駆者様方の力を借りる事になると思う。無学な僕も当然その内にいる。要するに、一般的に親切な作りとは言えない。
なのでいつも通り…というかいつも以上に、乱暴に感想だけしたためておきたいんだけど、どんな感想を抱くかすらも作者に掌握されてそうな感じもあるので、何を言えたものか…まぁいいか。
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(*以下ネタバレを含む)
結局、巻末の作者コメントにも書かれている様に、命というのは代替しうるものであって、誰かが誰かである必然性などというものは妄想に過ぎず、だからこそ必死に縋っとけ、というのを体現してくれる話の様なのだが。
どっかの小学校では、生徒に豚を飼育させ…名前を付けさせて可愛がらせて、最終的には屠殺して食わせる、という事をしているらしい。(たしか映画化したんじゃなかったかしら)
子供達にとっては特別な個体だったはずで、「豚さん」じゃなくて、付けた名前で呼んだりしたはずであろうから、泣いたり吐いたりしながら食うんだろうけど。翻ってスーパーや精肉店に並ぶ豚肉は、バラかミンチかその位の差異はあるにせよ、どれを取ったって、食材としての豚肉以上のものにはなり得ない。
命の価値とは何なのか、どこに見出してるのか、その正体は、対象の個体にまつわる「記憶」とか「思い入れ」とかそんなんなのだという訳である。肉親、友人、想い人。外国でテロがあって何人死にました、というニュースを聞いて、突然の肉親の死の報せを聞いた時と同じレベルで狼狽したり錯乱したりする事はまずあり得ない。
なるたるは最終話までのエピソードを通して、主人公がどういう力を持っていてどんな使命を負っているのかとか、世界観の説明を済ませたり、主人公達がどの様にして相互に感情移入するかを描いていく。そうして、読者もろとも主人公に、前述の様な命へのしがらみを色々な人々に対して纏わせ、すがらせる。そして最終話で、そのしがらみが一切合切無くなったとしたらどうするか、というのが描かれている。それが主題になる。
シミの付いたシャツを買い換えない理由は何か?そのシミの付いたシャツを捨てておいたら、新たに買わざるを得ないはずではないのか?そんな感じである。この稚拙な比喩を引き摺るなら、物語は、お気に入りが見つかるまで新品のシャツを買い換えよう、という顛末で終えられる。
(要領を得ない文章を書いといてさらに厚かましい事を申し上げると、)なんとなく感じていただけたかもしれないが、まぁその、凄絶な展開が続く漫画ではあるのだけれど。思うに、鬼頭莫宏先生は、かといって別に人間が嫌いとか、みんな死にやがれとか、いやそれはもしかしたらあるかもしれないけど、絶望してるとか抹消するべきだとか思ってる訳ではないのかな、と思う。
何故なら、「お気に入り」の概念を否定する様な描写は、作中、多分ほぼ無かったからだ。自分あるいは他者の生命に纏わる記憶や感情といったある種のしがらみを抱く事に対して、概ね肯定的というか、むしろ奨励している節すらある。(ていうか、色んなキャラ同士のそれが衝突するせいで、悲惨な展開になったりする。)
多分そういう、こだわりの様なものが、わざわざ人格を持って生きる理由になる、という事なのかもしれない 。
非常に不思議な感じだが、この決して清らかではない、ともすればおぞましい凄絶な物語を、煮詰めて焦がしてまだ焼いて、最後の最後に残るのは、生命というよりも、人間への賛美なのかも、と推測したい。でも、愛とも期待ともちょっと違う。あえていうなら「固執」が近いのではないか。
ドギツいが、消費されるだけの漫画ではないと思う。美味しい駄菓子にはなり得ないだろうが、拾ったカラスの羽を宝物と称して小箱にしまう様な、仄暗く不潔で後ろめたいがなにか甘美な満足感を得る、そういう何かが拾える可能性を持つ漫画だと思う。
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以下は完全に余談である。
かつてネットで取り上げられて騒がれた様な残酷な描写や展開というのは、確かに存在はするが、手段や過程であって目的ではないのだろうと思う。何故ならあまりに淡々としているから。
惨い瞬間のシーン(例えば頭が引きちぎられたり銃火器でミンチにされたり)はむしろ引きの画が多い。アメリカのバイオレンスホラー映画やゲーム(ファイナルデッドコースター?だとかモータルコンバットなど)などからすれば、そこが娯楽的要素になるのだから、思い切り描写したりする、そういう造りはしていない…と言えるはず。
多少なり趣味が入っている可能性を否定しきるではないが、本質ではなかろうと。とはいえもちろん、読者を選ぶに十分過ぎるレベルの過激なシーンを多々含むけど。