いきもの地球寄稿

以前、発行に関わらせていただいていた国マガがリニューアルされたそうです。それに伴って、安原マヒロ氏の小説の挿絵を描いたりする事になりました。彼とは中学以来の長い付き合いですが、今でも普通に遊びますし、こういう形でまだ関わったりするっていうのは、なんだか嬉しかったりなんだりかんだりしますね。

彼の小説はなんというか、伝達よりも記録に近いんだと、最近はそう思いながら読んでいます。写真が「ありのまま写るものを写す」ものであるとして、しかしそれ以上のもの、写らないものは残せない訳ですね。そういう意味では、安原の小説は写真に近いのかなと。

その時、何を考えているかとか、どういう状況だとか、温度や湿度はどんなもんなのか、とか、写真に写らないようなもの、語り手のぼやきだとか、連想させられた記憶だとか、そういうものをたくさん書いてる感じがします。それらが収束してよく出来た形の物語になる、というよりは、ばらまかれた事柄一つ一つに、なんかしらの物語があるかもしれないし、ないかもしれない。そんな感じ。

小説ですから、最終的には誰かしら、何かしらに焦点が当てられてストンと落とされる形になりますが、彼から見れば目に入るもの一つ一つに宿っているのであろう歴史は、優劣なく、平等に劇的に映っているのかもしれないな、などと思いました。

何がいいたいかというと、僕が発行に関わっていた時も彼の小説の挿絵を描かせていただいてましたが、毎回悩むんですね。どうしたもんかと。どこをどう描いたらいいかなと。バトンが棒状ではなく粉末状だったらあたふたする、みたいな感じです。まー「好きにやってくれ」と言われているので、好きにやろうと思っています。

余談ですが、リニューアル後初めての号に既に挿絵が載ったのですが、僕がもらった彼の小説の原稿が、誌面には長すぎるために2編に分割されたらしいんですね。僕の描いた挿絵は、貰った文章の後半の内容に掛かっていたので、結果、誌面に載った小説とは全く関わりのない挿絵になってしまいました。すみませんでした。