「つみきのいえ」見た

「つみきのいえ」という短編アニメ作品をみた。
なかなか物悲しい話だった。



あらすじ

水没し、その水位もだんだん上昇していく世界で
人々が暮らしている。
生活空間に浸水し始めると、
屋根の上にレンガを積み新たな家を作り始める。
まるでつみきを積むように。
そんな中、老いた男はパイプを水の中に落としてしまう。
使い慣れたパイプをあきらめきれない男は
意を決して潜水服を着込み、パイプを拾いに行くが――。

雑感

とにかく導入が素晴らしい

まず、物語が動くきっかけがパイプというのが凄くいい―
―煙草の成分によるものと
「あくまで使い慣れたパイプで吸わないと落ち着かない」という
精神的な依存性が老人を突き動かす、というのが、
”忘れた方がいいかもしれないくらい美しい過去”を
どうしても遡ってしまう
、という
物語の導入にがっちりハマる。
ある種の中毒症状が、第三者的に老人の背中を押してくれるという感じ。

あくまでも「よくある話」

全体を通してかなり寂しく厳しい話だとは思うものの、
もたらされる障害が「水面が上昇していく」という
個人差のない環境的なものであり、
皆一様に老いていくし捨てざるを得なくなる、
という人生の流れを端的に表している。
あくまで普遍的な出来事によってのみ
構成されている訳であり、
誰かにとっての特別な話ではないということである。

シビアな「個人差」の対比

人間は社会的な動物であると同時に、精神的な動物だと思う。
(心身を持ち崩して社会に居場所がない状態になった今だからこそ
 より痛感する部分があるかもしれん)

思い出というのは美しいくせに手が届かないので
ともすれば憎たらしくすらあり、
ここに人生の惨さがあるものだが、
とはいえ確かに溺れてばかりでもいけない。
よく踏み固めておかないと、
ぬかるむばかりで前に進めないものだ。

現実は ”現” ときて ”実” というくせに、
驚くほど掴みどころがない。
頑張った分だけの保証などあるわけもないし
掘り進める先に鉱脈があるかどうかもわからない。
とにかくあちこち個人差ばかりで
芝生の青さなど比べ始めようものならキリがない。
「つみきのいえ」では水底に沈んだ街を見渡すシーンがあるが
屋根の低い、完全に水没した家もちらほら見える。
暗い対比が皮肉にも、物語に説得力をもたらす。

水没した美しい「過去」と、どんどん狭くなっていく「現在」

そして長い時間を過ごさねばならんくせに
心も体もどんどん劣化していき先細っていく。
美しい思い出の一つや二つを心の支えに出来ないと
前に進むどころか、自分の体を支えることすら
困難になる日がやがてくるのだろう。
ほんの12分ほどで、説教臭くもなく
端的にその辺を語ってくれる。

何かの正しい在り方を主張する様な作品ではなく、
人生の起伏を客観的に観測する様な作品といえる。
ラストシーンが非常に切ない。

実り多き「一服」をきっと過ごせる作品

手書き風の美しいテクスチャや演出、小物が
一丸となって郷愁を刺激しては
記憶と現実の乖離を突き付けてくる。

餅を食うような気持ちで
焦らず味わい楽しむのがいいと思う。
余韻は少し後を引くけど毒性はそんなにないだろう。
ちょうど煙草みたいなものだと思う。

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